トカゲ太郎のワンダー・ワールド
アイヌと羆
北海道野生動物研究所
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(2016年3月15日)

今回は、北海道野生動物研究所の門崎允昭博士が、アイヌとヒグマの関係について著した本、『アイヌ民族と羆 -羆儀礼の起源と発展』の概要を紹介する。

アイヌと神

アイヌの人々は、熊ばかりでなく、採取した自然物(生物を含む)や自ら作った道具、家屋にいたるまで神・魂が宿ると考えた。それらを食したり使ったりした後、アイヌはイナウと呼ばれる独特な芸術品を神への土産ものとして捧げる。このイナウを通じてアイヌは神と対話をし、送りの儀礼を行った。この儀礼によって神の国に戻った神は、その土産でより豊かな生活ができるのだという。そして、神は再び神の国から土産をもってアイヌ世界に降臨する。これでアイヌもまた豊かな暮らしができるようになると信じられた。こうした儀礼は、アイヌの人々の中に「相互扶助」の思想が流れていることを反映している。熊であれば、熊神から肉や毛皮をもらい、眼や脳などその他の身体の部位を生食することで熊の優れた能力が得られると信じられていたのだ。

アイヌの人々はまた、地上の万物はすべて天上界の神が扮装して現れたものであると考えた。そのためアイヌの生活に利益をもたらす善神(ピリカカムイ)もまた姿を変えて地上に現れると考え、善神が扮装した姿である物には感謝し、天上界へと帰ってもらった。そして再び姿を変えて地上へと来てもらうのだ。この過程を繰り返すためにアイヌは様々な儀式を行った。これらの儀式の一つに猟で得た熊の霊を送る儀礼がある。

  門崎允昭著『アイヌ民族と羆 羆儀礼の起源と発展』
門崎允昭著
『アイヌ民族と羆 羆儀礼の起源と発展』  (北海道出版聞企画センター、2016年)

熊の霊を送る

ヒグマは最も位の高い山の神で、キムンカムイと呼ばれた。キムンカムイに対する儀礼は、猟場にある岩家や部落(コタン)で行われ、カムイ・オブニレ(熊の霊を送る)と言われる。また、位の高い鳥獣の子を生け捕りにして、部落に連れ帰り飼育した後送る場合もあった。これをイオマンデといい、やがて時代が下ると飼育した小熊を送ることを特にイオマンデというようになった。このほかの儀礼として、狩猟した小獣や小鳥を送る儀礼をイワクテ(またはアルパレ)といい、日用品や祭具を送る場合もイワクテ(祝福して送る)と言った。こうした儀礼の背景には、神は万物に宿り、アイヌの儀礼を通じてアイヌ界と神界を行き来していると信じていたことがある。また熊送りの儀礼は、1710年ごろまでに確立していた。その思想の独特な点として、セキツイ動物の頭部には、神が宿っているという考え方がある。そして熊については、両耳の間に神が宿っているとしている。アイヌの人々は熊を獲ると肉や内臓を食糧として、毛皮を防寒具として使用したのだが、マラットと呼ばれる熊の頭は儀礼に使用された。その際、鼻と眼の周囲の毛皮と両耳はそのままにして、そのほかの部分の皮は剥ぎ取る。もちろんそのほかの肉も削り取り、頭蓋骨に飾りをつけて木の上に載せるのだ。

  エゾヒグマ
エゾヒグマ

なぜ小熊は飼われたのか

ところでなぜ小熊は各部落で飼われることになったのか。これにはアイヌの熊猟が関係しているようだ。それは、穴熊猟と呼ばれるもので、冬ごもりするために穴で眠っている羆を獲るやり方だ。長い棒を穴の中に入れて眠っている熊を起こし、怒った熊が外に出てきたところを撃つのである。この際、春先のメスグマであったら、小熊が残っているため小熊が3頭の場合は、一頭はその場で殺し、残り二頭を連れて帰った。これは、母グマがいなくなっては単独で生存するのは不可能であると考えたからであろう。そして、独りでも生存できるようになる秋まで飼育し、その後送りの儀礼が行われた。儀礼で小熊は丸太を使って絞殺されることになる。送りの儀礼は、子熊が大きくなり扱いにくくなることから仕方ない面もあったと思われる。一方、子熊が飼育途中で死んでしまうとアイヌは、まるで家族の一員が亡くなったかのように嘆き悲しんだ。また、子熊の飼育中は不幸が起きないと信じていたことから盛んに飼育熊が慣行されるに至った。なお、儀礼の作法には地域や家族、時代によって違いが見られるという。

アイヌの猟

このほかアイヌは、仕掛け弓猟や出会い猟(羆を見つけて獲る)、落とし穴での猟などの方法で羆を捕獲する。狩猟の道具としては、トリカブトのついた毒矢を主に用い、そのほか「手槍(オプ)」や「山刀(タシロ)」は猟の際に常に持ち歩いた。また、犬も一緒に連れて行き捕獲の手助けをさせる。毒矢で仕留めて場合は、毒矢が刺さった部分をすぐに取り除くことで食糧として利用できた。アイヌの人々は、火であぶった肉を食べるとともに肉や臓器の一部を生食した。その理由は、眼球を食べることで目の病を防ぎ、視力の向上図る、耳と鼻と舌の軟骨を生食することで聴覚、嗅覚そして議論に強くなる、そして脳しょうを食べることで知力・能力が増進する、などと考えからだ。また、心臓は生食しないが若返りや精がつくなどの理由から血液は飲んだ。ただし、食道、胃、大腸、直腸、脾臓など生食しない部位もあった。さらに胆のうは乾燥させ、「熊の胆」として和人との取り引きに用いていた。

  アイヌの羆狩りは勇壮だ。冬ごもりの穴から怒り狂って出てきた羆を毒矢で撃ち、その後羆と取っ組み合いをして、毒がある程度効いてきたところで脇を山刀で突いて留めをさす。
 アイヌの羆狩りは勇壮だ。冬ごもりの穴から怒り狂って出てきた羆を毒矢で撃ち、その後羆と取っ組み合いをして、毒がある程度効いてきたところで脇を山刀で突いて留めをさす。

アイヌのタブー(禁止事項)

アイヌの人々の猟や習俗には現代人の目からすると確かに矛盾や残酷な面がある。しかし、そのことをもってアイヌの人々の生活を私たちは果たして完全に否定できるだろうか。一例として出猟中のタブーがある。いったん猟のために山に入ったら「カムイ(羆)」の悪口や批評をしてはならない。この掟を破ると必ずひどい災難に遭うというのだ。また、出猟中の家族も、汚い物があっても洗濯はしてはならないなどのタブーがあった。そして捕獲した際には、羆の肉を切り取って、まず山や海の神に供えたという。こうした行動は、相互扶助の思想の元に自然を敬う態度が形として表われたものであろう。

固有の文化を守ろう

ヒグマの寿命は30年ぐらいだ
ヒグマの寿命は30年ぐらいだ

門崎博士はこの著書の中で、「アイヌの人々は熊送りの儀礼を重ね続け、その歴史を通じて羆が偉大な獣であることが強調されるようになったのではないか」としている。また、これまでのアイヌの歴史についても次のように述べてその大切さについて強調している。
「北海道・千島・樺太などのかつてアイヌが住んで利用して居た地域には、和人にとって人跡未踏と思われる深山幽谷に至るまで、その地理的特徴や特産物を示すアイヌ語名が付され、それが子々孫々、口承によってアイヌ民族間で伝授されていた。アイヌが幾百年にもわたりこれら未開の地に分け入り探索していたことは驚くべきことであり、これらの地でのアイヌの生活は貴重な歴史である。」

とはいえ、アイヌの人々は明治政府によって毒矢の禁止や漁猟の制限など伝統的な生業を奪われてしまっただけでなく、その土地をも和人に開拓のために所有できなくなった。一方、ヒグマの方はどうであったかというと、明治期に開拓が進む中で人身事故や農業被害など人間との軋轢が生じ、害獣として駆除の対象となり、現在でもそれは続いている。羆を狩るが、その命を尊びその血肉の一片に至るまで利用尽くしていたアイヌの人々と羆の関係とは対照的である。門崎博士は、「羆の実像を理解し、この大地は万物の共有地との観点で、人は羆とも共存すべきである。」と、訴える。さらに、「羆と数百年にわたって共存していたアイヌの人々の偉大な文化は固有のものであり、日本の固有文化の一つとして伝承保持していかなければならない」と、主張している。

以上のほか、『アイヌ民族と羆』では、ヒグマの生態やアイヌの人々の歴史と風俗についても詳細に説明している。なお、歴史的な事柄は、松宮観山、間宮林蔵など18~19世紀にかけての江戸時代著された記録によるものであり、それらについてもこの著書には掲載されている。